2014/03/28

岩崎弥太郎と三菱四代

河合敦『岩崎弥太郎と三菱四代』を読んだ。幕末からはじまり、三菱財閥を築いた岩崎家四代の経営者の話。満足度★★★★★。

三菱財閥の歴史。ほとんど知らなかった話で、とても面白かった。岩崎弥太郎岩崎弥之助岩崎久弥岩崎小弥太、という創始者から四人の三菱を率いたトップのストーリー。それぞれのトップが個性があり、その時代にあった経営手腕が発揮されたので成功して三菱財閥が発展した。「国との対立」「海運業を手放す」など、ハイリスクをともなう経営者の英断が凄い。また「人を育てる」重要性が随所に出てくる。ビジネス社会の荒波を乗り切る方法が随所に示され、とても勉強になった。

昨年読んで感銘を受けた百田尚樹『海賊とよばれた男』の主人公「出光興産創業者の出光佐三」と、今回の岩崎家四代経営者の話で共通点が多くある。「海運業」や「国や大企業との対立」「海外ビジネス」「人材育成」など。一人の創業者からはじまり、大企業に成長するには、経営者トップの「哲学」をベースにした「世のため、人のため」という社会的使命があって、その結果として会社が発展・永続するようだ。先に、「利益&会社成長」を掲げて成長した訳ではない。また経営者の「熱意」や「人を大切にする姿勢」が素晴らしい!

テレビ番組「カンブリア宮殿」で出演する経営者の人達の語るストーリーも、岩崎弥太郎や出光佐三の哲学と重なる部分が多いように思う。これらのビジネスの話は「共感」できることが多いので、とても面白い。一方、「金儲け」だけの話であれば、「バブル期」の話のように、一時期的で面白くないし、共感はできない。歴史的にみても、ビシネスはもちろん人間社会では「共感」が「人を動かす」のだなぁ、ということを強く意識した。



【語録】(読書ノート)

・三菱の成功の秘訣は「巧みな経営術」にあった。

・凡庸な人間でも、「必ず一つは光る才能を持っている」という。それに気付いたとき、人は脱皮して飛翔するものだ。しかし、残念ながら、自分自身で己の才能に気づくことは稀である。たいていは、親や教師から指摘を受けて、はじめて己の能力を認知する。

・吉田松陰は、そうした才能を見出す天才だった。松陰は、弟子をよく観察し、その「長所」を見極めた上で、はっきり本人に告知してやったという。

・歴史人物の面白い共通点。偉人の多くが、少年期を過ぎてからも、大風呂敷を広げ続けている。平然と周囲に「大言壮語」を吐いている。

・偉人は、大人になってからも夢や大志を捨てることがない。世の中の現実を考慮しない。どう転んでもそんな大きな夢が実現するはずがない。しかしながら、天は不思議である。そういう人物に味方する。善人や悪人の別なく、天は「大志を抱き続ける人物」を引き上げる傾向が明瞭に見てとれる。

・「願いは必ずかなう」と信じて、ただひたすらに突き進めば、不思議と夢は現実になる。一切の疑念を挟んではいけない。いくら表面的に夢は実現するんだと頑張っても、心の底でダメかもしれないと疑ってかかれば、どうやら天は味方してくれないらしい。そういう意味では、人生は「馬鹿の勝ち」である。

・諸芸に秀でようとして、枝葉末節の技術に時間をかけるのは、無能者がやることさ。(岩崎弥太郎)

・海運王。

・「学問に対する熱意」を失わなかったからこそ、のちに弥太郎は大成するのである。

・弥太郎は万が一を考えて、いつも「第四の策」まで想定して行動していた。

・会社は組織である。「社員が有能」でなければ、いくらトップが奮闘さても、絶対に会社は伸びていかないだろう。「いかにして良い人材を集まるか、また育てていくか」、それが会社の成長・存続にとって重要なのだ。

・三菱のシンボルマークであるスリーダイヤモンドは、「人」の字を形どっていると言われる。三菱がいかに「人」というものを大切にしていたかがわかる。弥太郎は、見事な社員教育と人材登用によって、「人」の能力を存分に引き出して、会社を発展に導いていったかがわかる。

・子供達を甘やかさず、厳しく鍛え上げる。「我慢する心」、すなわち「耐性」というものを幼少時代に叩き込まなければ、人は世の中の荒波を渡り切ることはできない。本当に子供のことを思うのなら、親たるものは、「子供に対して厳格」であらなければ、ならない。

(河合敦『岩崎弥太郎と三菱四代』)

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