2015/06/21

トリック劇場版ラストステージ

私達から観れば、あなた達ほど無知で野蛮な人はいない。
霊能力は確かに存在します!

ネットレンタルで映画『トリック劇場版ラストステージ』を観た。14年間の集大成、初の海外ロケ(マレーシア)。山田と上田が南の島の現地の呪術師と対決。満足度★★★★☆。


「霊能力者は本当にいるのか?」というトリックシリーズのテーマが今回も主題。舞台を日本から海外の「アマゾンの奥地」のような架空の未開の地(日本から見れば)に移す。内容は、定番のコメディーだけでなく、「民俗学」的な視点から、「文明社会こそが無知ではないか(あべこべ)」という社会的メッセージも。

「トリックファンとしては観なくては!」と思いつついたが、やっと観ることができた。今回も期待どおり繰り返される「小ネタ、決めセリフ、キャラクターの癖」など、「遊び心満載」のトリック独特の流れ。他のドラマではありえない、この徹底したハジケっぷりの雰囲気が好きだ。「マジメくさった思考停止の日本社会に喝を入れる」みたいな、堤幸彦監督のこだわりが伝わってくる。これこそ外国人や『トリック』を初めて観る人には意味がさっぱりわからないやろね。半分くらい「字幕の翻訳不可能」みたいな。

要素としては、コメディー(笑い)が半分、霊能力や超常現象などミステリーが半分。このバランスが絶妙な所が、『トリック』シリーズに多くの人がハマる所以だろう。『トリック』が始まったのは2000年。当時大学生だったので、人生で一番テレビドラマを観た時期だった。そのときに、この『トリック』に魅せられた。そこで、映像的な「言葉遊び」の方法を知った(堤マジック!)。それから14年が経過して、今回の作品でシリーズ終了。ラストシーンがまさに『トリック』という題名にふさわしい、感動的な場面だった。鬼束ちひろの『月光』が流れる中、回想シーンがあり、その後に・・(ネタバレなので自粛)。そうきたか・・。超常現象や民俗学をテーマにしてきただけあって、まさに「輪廻」という言葉があてはまるエンディングだった。

堤幸彦監督は、「仲間は貧乳、阿部は巨根、というイメージが付いてしまい、堤は心から反省している」とインタビューで答えてるらしいが、今回の最終回を観る限り、「心から」どころか、まったく反省していない。確信犯だな。( ^ω^ )

堤流
遊び心を
満載に


予告編『トリック劇場版ラストステージ』


2015/06/14

フォックスキャッチャー

なぜ大財閥の御曹司は元金メダリストを射殺したのか。

京都シネマで映画『フォックスキャッチャー』を観た。実話。大財閥デュポンの御曹司がレスリングチームを立ち上げ。満足度★★★★☆。


『カポーティ』『マネーボール』のベネット・ミラー監督。レスリングというスポーツを題材にしてるだけあって、表向きは、とてもマッチョでアメリカンな様だが、内面は「繊細で、か弱き男の孤独感」を、3人のレスラーを通して表現。「金メダリスト」「金持ち」「幸せな家族の父親」という、「男が目指すべき理想像」みたいなイメージにすでに達している3人だが、幸せとは限らない。そして、衝撃の結末へ。「スポーツ」「名声」「お金」「母子関係」「家族」がキーワード。

1996年に実際起こった射殺事件を題材にしているとこも米国映画らしい。邦画では「しがらみ」に縛られ、同じ様な映画はできなさそう。2015年のアカデミー賞5部門にノミネートされただけあって、完成度はとても高い。これが、ベネット・ミラー監督が創り出す今時の「本気映画」か。ポスターからも、映像からも「独特のリアル感」が伝わってくる。

「スポーツの組織」が題材だが、「企業の組織」としても同じような行動を行う人達や人間関係に思い当たる節があるなぁ(意味深・・)、社会勉強になるなぁ、と思いながら映画を観た。

マッチョだが
とても孤独な
男達

予告編『フォックスキャッチャー』

2015/06/12

あまのじゃく

一週間の仕事の〆(しめ)に、京田辺で途中下車して、麺屋「あまのじゃく」で「豚骨味噌ラーメン」を食べる(前回食べたのは「あっさり塩ラーメン」)。

麺屋あまのじゃく京田辺店

豚骨味噌ラーメン

こりゃ美味い!「味噌ラーメンはこういう味であってほしい」という期待どうりの濃厚味噌スープの味。とろけるチャーシューもナイス。胡麻と焦がしニンニクを入れると、さらに味の深みが増して大満足!

しめのしめに「オニギリ」を注文。絶品の味噌スープの残りとオニギリでしめる。日本人で良かった〜という心境(^o^)

おにぎり

「大鍋でスープを煮込んでいるとこを見せている店」は、美味しい確率が高い。

大鍋が並ぶ、きれいな厨房

らーめんで
しめるがよろし
日本人

4月に食べた「あっさり塩ラーメン」

2015/06/06

私の少女

二つの「痛み」が出会い、希望にふれる。

京都シネマで韓国映画『私の少女』(原題:도희야)を観た。海辺の村に左遷された元エリート警官ヨンナムは少女ドヒと出会う。満足度★★★★☆。


チョン・ジュリ監督の長編デビュー作品。女性監督ならではの視線を随所に感じた。「まだまだ女性が生きづらい」韓国社会の闇部分を映し出す。ストーリーは、女性警官(所長)と少女の二人の出会いだが、他にも老女や村のおばちゃん達、キーマンの訳あり女性など様々な女性が登場する。そう、タイトルのとおり「女性が中心」の映画なのだ。男性陣は脇役。

映画内容から少し離れるが、日本(韓国も?)は、表向きは「男性社会」なのに、実社会は皆さんが実感しているように「実際は女性を中心にまわっている」みたいな「パラレルワールド」という連想もした。表裏関係でバランスが保たれているのか、またや実社会の実情に合わせて、表社会(組織のポストなど)も「女性中心」にまわせば、様々な社会問題が解決されるのでは、と考えるか。さてどちらか。

また「アルコール中毒、家庭内暴力、セクシャルマイノリティ、外国人の不法就労問題」など社会問題も映画のテーマに。つまり「心」の問題。「監督が何を伝えたいか」を考えながら映画を観ると面白い。邦画よりも韓国映画はストレートな表現なので、そこに情熱やらパワーを感じる。

ペ・ドゥナが主人公の警官役。『リンダ・リンダ・リンダ』(2005年、山下敦弘監督)、『空気人形』(2009年、是枝裕和)以来の久しぶりのペ・ドゥナ。ハリウッド・デビューして、今回は2年ぶりの韓国映画復帰だとか。ペ・ドゥナが主演なので観に行ったのだが、ペ・ドゥナファンだったことも思い出した。この映画もペ・ドゥナならではの役柄だった。眼力、瞳のパワーというか・・、さすが。この映画の続編などで、もう一度ペ・ドゥナの警官役を観てみたい。

警官(所長)役のペ・ドゥナ

予告編『私の少女』